バンドができるまで

 当時、自分は「たま」というバンドのファンでした。
平成初頭に一世を風靡した、メンバーのランニング姿が印象的なイカ天出身のバンドで、
小学生時代にそのブームの直撃を受けた自分は、ブームが過ぎ去った後も
浮気もせずファンクラブに入るなどして細々と活動を追い掛けておりました。

 で、そのファンクラブでは、毎年メンバーと旅行に行くツアーを開催しており、
それまで行きたくはあっても参加費が決して安くない為見送っていたのですが、
2003年に解散を発表し、その年が最後となってしまった事で思い切って参加を決意。
最後のファンクラブツアーの行き先は、岐阜県の下呂温泉でした。


 ところがいざ参加してみると、「たま」のファンは実は女性の方が圧倒的に多く、
6〜70名の参加者のうち男性はわずか10人にも満たない程度。
その中で家族連れなどの方を除いたお一人様での参加者は自分を含め5名。
部屋ももちろん一緒でおのずとその5人でのグループで行動する事になり、
当然のように男性陣たちは強い結束で結ばれたのでした。

 その男性参加者の中で、ウクレレを持参しホテルや外などあらゆる場所で爪弾いている男性、
彼こそがウクレレ弾き語りでライブ活動を行っているPohn Lemmon氏その人でありました。

 ちなみに、そのポンさんから触らせてもらったウクレレをすっかり気に入ってしまい、
ポンさん以上にツアー中ずっと弾いていたのが自分のウクレレを始めるきっかけでもありました。
なのでポンさんは自分のウクレレのお師匠様的存在だったりします。

ポンさんのウクレレを持つ私

 で、たまのファンに会うという機会も日常的には珍しい事ですので
すっかり意気投合した我々はツアーが終わった後もお互い連絡を取り合うなどし、
「このメンバーで音楽活動をしたいよね」という話で盛り上がりました。

 実際ポンさんは後日その時のメンバーをライブのゲストに招いたり、
遠く離れた自分とも「ネット上で音源をやり取りして合わせれば」などという形で
一緒に音楽活動をやる事に関してはかなりノリノリで話が進められて行きました。


 それから月日は流れ、2007年にはるばる東京へやって来た自分。
結果的には上記の計画は実現しなかったんですが、そういう経緯があった事で
すぐにポンさんの方から「一緒にやろう」とお声を掛けられたのでした。

 …とは言え、大学のサークルで多少楽器をかじってただけで
本格的なバンドの経験もやる気もまったく無かった自分。
足を引っ張らないだろうかと戸惑いを覚えつつ、今日も下手なりに頑張っています。

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